谷中公一のソコまで聞いちゃう!?[2013年2月13日対談記事] 1ページ/3


今回のゲストは、美浦・古賀慎明厩舎で助手をされている土谷智紀さんです。元ジョッキーの助手さんということで、ジョッキーになったキッカケから現役時代のお話、助手に転身されてからのお話などを聞かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

土谷:よろしくお願いします。

谷中:よろしく。ツッチーは静岡県出身だよね。静岡のどこなの?

土谷:下田です。

競馬と関係の薄い地域だと思うんですけど、ジョッキーになったキッカケというのは。

土谷:小学校低学年の頃から、ずっと親父に言われていたんですよ。下田の辺りには場外馬券売り場もないんですけど、親父の職場に電話投票で馬券を買うような競馬好きの人がいっぱいいて。息子を騎手にしたらって言われていたみたいで。僕が小柄だったんで。

谷中:お父さんが、職場の仲間から勧められていたんだ。

土谷:はい。親父は競馬をやっていなかったですけど、周りからそう言われてその気になり、僕は言われるがままに、みたいな(笑)。願書も、親父が調べて取り寄せていました。

谷中:そうなんだ。競馬学校に受からなかったら高校に行こう、とか考えていたの?

土谷:それが「騎手がダメだったら競艇の選手だ」みたいな話になっていて(笑)。

谷中:えー(笑)!どのみち「ギャンブルの道を進め!」みたいな。

土谷:そんな感じでしたね(笑)。最近の子は、結構将来のことを考えているのかもしれないですけど、僕なんか中学生の頃は全く考えていなかったですからね。まあ、親に言われたからやろうかな、みたいな感じで。

谷中:みんなそんなもんだよね。俺もそんな感じだったもん。運動神経はどうだったの?

土谷:良い方だったと思いますね。野球をやらされていたので。

谷中:ん?これまた「されていた」という言い方がすごく気になるんだけど(笑)。

土谷:うちの親父が少年野球の監督をやっていたんですよ(笑)。

谷中:あー、それならやらざるを得ないね(笑)!ポジションは?

土谷:背も小さかったんで、ほとんど外野で。中学校でも野球をやりつつ、学校の部活では水泳をやっていたんですよ。水泳も親父に言われてやらされていたんですけど(笑)。

谷中:まさかお父さん、水泳チームの監督もしてたんじゃないだろうね?

土谷:アハハ(笑)!なんでかは分からないですけど「水泳部に入れ」って言われて。何しろ本当に怖かったんで、言うことを聞かないと。全部言われるがままにやっていました。

谷中:乗馬経験は?

土谷:全然なかったんですよ。でも、なんでかは分からないですけど競馬学校に受かっちゃったんですよね。競馬学校に受かってから1回だけ乗馬クラブに行って跨ったくらいで、それまで馬には触ったこともなかったです。

谷中:乗馬クラブで初めて馬に跨ったときはどうだった?

土谷:気持ちよかったですよ。全然怖いとかは思わなかったんで。競馬学校に入った後も、問題なくやっていけました。

谷中:競馬学校では、乗馬経験者と未経験者を分けていなかった?

土谷:いえ、そういう分け方はありませんでした。みんな一緒にやっていました。

谷中:ツッチーって、何期生だっけ?

土谷:7期生です。四位(洋文騎手)君が飛び抜けて上手くて、結構抜けた存在でしたね。あとは藤田(伸二騎手)くらいで、他はみんな同じような感じでした。

谷中:四位、藤田かー。濃いメンバーだね(笑)。これだけ個性のある同期じゃん?派閥みたいなのは出来なかった?

土谷:派閥というか、頭は当然、藤田さんなんですよ(笑)。年齢もひとつ上でしたし。そこ絡みで結構ありましたね。藤田さんと安田康彦(元騎手)がケンカしてみたり、宝来(城多郎元騎手)とケンカしてみたり。

谷中:あ、安田康彦も同期なの?濃いねー!いやー、濃い!この期の下はイヤだなあ(笑)。8期生にはなりたくないなあ。

土谷:ホント僕も同期で良かったなって思いますよ(笑)。下だったら大変ですし、ひとつ上も江田(照男騎手)さん、沢(昭典元騎手)さん、浜野谷(憲尚騎手)さんたちなんですけど、全然逆らえなかったですもん。

谷中:先輩なのに後輩に「逆らえない」ってのも凄いね(笑)。ツッチーも強烈な同期に囲まれて大変だったんじゃない?

土谷:いや、僕は正直、親から離れられたのがすごく嬉しくて、寮の生活が楽しかったんですよ。親父が本当スパルタだったんで。

谷中:実家の生活の方が競馬学校より厳しかったんだ。こういうケースは初めて聞くね。

土谷:だから、教官に怒られてもたいして怖くなくて。自由に外出が出来ないのも、全然大丈夫でした。

谷中:よほどお父さんが厳しかったんだね。じゃあ競馬学校時代の苦労話らしい苦労話は。

土谷:ないですね。しいて言えば、最初の軽乗鞍で、脚を振って馬に乗るやつがあるじゃないですか。あれが出来なかったくらいで。

谷中:あー。あれは難しいよね。サーカスみたいなもんだよね。

土谷:あれが最初は本当に出来なくて。それぐらいですね。

谷中:そうなんだ。で、騎手としてデビューしたときのお父さんの反応はどうだったの?

土谷:すごく喜んでいましたよ。デビュー戦も見にきてくれました。僕のデビュー戦がテレビで放送されたんですよ。静岡のテレビ局が取材にきていて。

谷中:ドキュメンタリーチックな番組?お父さんのインタビューもあったり。

土谷:そんな感じでした。

谷中:それはお父さんも嬉しかっただろうね。現役時代も叱咤激励はあったの?

土谷:ありましたねー。電話すると結構厳しいことを言うんですよ。だから電話もしたくない感じで(笑)。

谷中:え、競馬の乗り方に対しても言ってくるの?さすが競馬界の飛雄馬、一徹親子だね(笑)。(資料を見ながら)ツッチー、新人賞を取ったんだよね?

土谷:いや、橋本(広喜元騎手)じゃないですかね。結構良い勝負をしていたんですけど、最後に厩舎力の差でググッと離されました(笑)。

谷中:あ、ハッシーも同期だったんだ。本当に濃いねー(笑)。でも、ツッチーもデビューした年に23勝もあげているんだからすごいよ。ジョッキー生活で大きなケガはしなかった?

土谷:ケガは、3年目に落馬して鎖骨を折ったぐらいですね。

谷中:じゃあ、相当順風満帆だよ。振り返ってみて、思い出に残っている馬はいる?(資料を見ながら)トーアメイウンって、確か重賞で良いところにきたよね?

土谷:金杯で2着にきました。このときは、前の年の年末にヨシトミさん(柴田善臣騎手)と一緒にバリに遊びに行っていたんですよ。その間に美浦では「土谷に連絡が取れない」って話になっていたみたいで(笑)。で、大晦日にバリから帰ってきて、携帯を見たら着信があったんですけど、大晦日の夜で電話をかけられないじゃないですか。で、1月2日の顔合わせのときに藤原厩舎に行ったら「お前、50キロ乗れるか?」って言われて。あのときはビックリしました(笑)。

谷中:バリでたらふく贅沢をしてきて、すぐに減量することになったんだ(笑)。

土谷:バリから帰ってきて体重を量ったら51キロくらいになっていて。また減量って、普段からやっていないと落ちないじゃないですか。僕、元々軽くて普段は減量をしてなかったから大変でしたけど、せっかく金杯に乗れるし、死にもの狂いで落としました。

谷中:それで金杯で2着にきたんだから、良かったよね。

谷中 公一

1965年長野県生まれ。1985年、美浦の阿部新生厩舎の所属騎手として騎手デビュー。JRA通算成績145勝(うち障害3勝)。初騎乗は1985年3月10日にヤノリュウホウ(8着)。同年6月15日イチノスキーで初勝利。現役中に騎手生活の厳しい現実を綴った著書「崖っぷちジョッキー」を発表。現在は天間昭一厩舎の助手として活躍中。同厩舎ではレッツゴーキリシマやクラウンロゼなどを担当した実績もある。またその傍らドッグガーデン「WANだら~」経営者としても手腕を発揮している。

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