東京大学名誉教授が射抜くワイド1点

[2012年2月12日]

【京都記念・共同通信杯】耳を澄ませば

はじめてダービーを観戦したのは昭和48年(1973年)の東京競馬場。皐月賞まで全勝のハイセイコーが断トツ人気の東京優駿競走だった。その日の朝、父親が「今日はタケホープが怖いよ」とのたまうたのだ。まだ28頭も出走していたころだから、そんな馬が出ているのか、と訝しがっただけで完全に無視した。結果は1着タケホープ、2着イチフジイサミ、3着ハイセイコーだった。枠連5-7で万馬券ちょっと足らずの高配当だったと記憶している。父親はその当時でも15年の馬券歴があり、忠告に従っていればとショボくれたものだ。教育は自由放任だったが、競馬の話になるとやたら講釈をたれたがった。

ローマ人はなによりも「父祖の遺風」を重んじている。進んでわが子の教育にかかわり、子供も父と祖先の教えに耳目を傾け、自分を磨いた。それが優れたリーダーを輩出させ、あの世界史上の大帝国を築きあげたのである。私の近著『ローマ人に学ぶ』(集英社新書)でこの「父祖の遺風」にふれたところ、本日(2月11日・土曜)の『読売新聞』第一面のシリーズ「指導者考」で直木賞作家の佐藤賢一氏が私の話をとりあげてくれた。地中海世界に千以上ものポリス(都市国家)があったのに、ローマだけが世界帝国にのしあがったのはなぜか。その核となるのが「父祖の遺風」というわけだ。

そんな記事を読みながら、あらためて39年前のダービーを思い出したりするのが私の頭の柔らかいところ(自慢話です)。親父だったらなんとのたまうのだろうか。耳を澄ませば、京都記念は「(3)トレイルブレザーが怖いよ」と聞こえ、共同通信杯は「ディープインパクト産駒(2)(8)(10)(11)が怖いよ」と響いている。

古馬の有力どころが出走するGIIの京都記念は、それほど荒れないことで定評がある。そこで人気馬から(7)ウインバリアシオンを選ぶ。ダービー、菊花賞とも2着で56キロは魅力である。まだ若駒ざかりが出走する共同通信杯は、人気馬でも(2)ディープブリランテを狙わない手はない。もう一頭は父親同様にもっとも末脚の切れそうな(8)スピルバーグを選ぶ。


京都記念   (3)-(7) ワイド1点で勝負する。


共同通信杯  (2)-(8) ワイド1点で勝負する。

【by本村凌二】

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『ワイドの凌』よりひと言

昭和の「エースの錠」が拳銃を片手にのさばってから半世紀が流れた。平成を経て令和の世は馬券を片手に「ワイドの凌」でいきたい。狙い目はできるだけ少なく、基本はあくまでワイド1点勝負。ワイドは当たり馬券が3つもあるのだから、的は見えやすい。馬券は手を拡げると、あの馬も買っておけばよかったと悔やまれる。できるだけ狙い目を絞れば、そんな後悔もせずにすむ。人生は短いのだから、ストレスをかかえこまず、心ゆたかに競馬も馬券も楽しむこと。それがこの世界で長生きする秘訣である。

本村 凌二

1947年5月1日、熊本県八代市生まれ。
東京大学名誉教授。
専門は古代ローマの社会史。専門の近著に『ローマ帝国人物列伝』『一冊でまるごとわかるローマ帝国』

「もし馬がいなかったら、21世紀も古代だった」という想念におそわれ書き起こした『馬の世界史』が2001年JRA馬事文化賞を受賞。その他の競馬関連の近著に『競馬の世界史 - サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで』(中公新書)。20世紀のペンネームは本村雅人。

ハイセイコーが出走した1973年の第40回東京優駿日本ダービーから、第57回を除き、毎年東京競馬場でライブ観戦するなど、日本の競馬にも造詣が深い。
夏から秋にかけてはヨーロッパで過ごす事が多く、ダンシングブレーヴが制した、あの伝説の凱旋門賞や、タイキシャトルが勝ったジャック・ル・マロワ賞。また、シーキングザパールが日本調教馬として初めて海外GI競走を制したモーリス・ド・ギース賞などをも現地でライブ観戦している。競馬と酒をこよなく愛する、知る人ぞ知る競馬の賢人。

伝説の凱旋門賞
勝ち馬ダンシングブレーヴの他、ベーリング、シャーラスタニ他、JCにも参戦した鉄女トリプティク、そして日本ダービー馬シリウスシンボリも含め出走馬15頭中11頭がGI馬という当時としては最強のメンバーが集結したレース。そんな好メンバーの中、直線入り口最後方から全馬をまとめて差し切り勝ち、しかも当時のコースレコードのおまけ付だった。

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