谷中公一のソコまで聞いちゃう!?[2012年12月21日対談記事] 1ページ/3


今回のゲストは、美浦・堀宣行厩舎で助手をされている宗像徹さんです。元ジョッキーの助手さんということで、ジョッキーになったキッカケから現役時代のお話、助手に転身されてからのお話などを聞かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

宗像:よろしくお願いします。

谷中:よろしくね。ムナゾウは「WANだら~」のお客様でもあるし、すごく仲がいいんだけど、こういう対談は初めてだよね。だから、今ムナゾウがいる堀厩舎の話とか、この機会に聞きたいなと思って。まずは、ジョッキーになったキッカケから聞くんだっけ?

はい。時系列でお話を聞かせていただきたいな、と。宗像さんは福島県のご出身ですけど、いつ頃から競馬に興味を持ち出したんですか?

宗像:中学3年のときに、母方のおばあちゃんが亡くなったんですよ。それでお通夜に行ったら、そこにたまたま三浦堅治さん(元騎手現二ノ宮敬宇厩舎助手)のお父さんが来ていて、最初はウチの兄貴に「ジョッキーになれ」って勧めていたんですよ。でも兄貴はもう高校へ通っていて、就職も決まっていたのでダメだということで。で、隣にいる僕を見て「ん?」と(笑)。

谷中:小柄な子がいるな、と(笑)。

宗像:「このお兄ちゃんは?」みたいな感じで。それまで競馬のことは全然知らなかったんですけど、そこで三浦さんのお父さんから「ジョッキーっていう職業があるよ」って言われたのが競馬に興味を持ち出したキッカケですね。結構真剣に勧められたから、それからちょっとずつテレビで競馬を見るようになりました。

谷中:最初に見たレースって覚えてる?

宗像:オグリキャップのJCですね。ホーリックスが勝ったときの。

谷中:今、ジャパンカップのCMで流れてるレースじゃん。最初から凄いレースを見たね。

宗像:でも、特に何とも思わなかったんですよね。まるっきり何の予備知識もなかったから、へー、こんなのもあるんだってくらいで。

谷中:レースを見て「よし、俺もジョッキーになるぞ」っていう感じじゃなかったんだ。

宗像:そうですね。その中3のときは競馬学校の試験期間が過ぎていて、もう試験を受けられなかったし。高校に1年通いながら、次の競馬学校の試験を受けて、もし受かればその後に決めてもいいし、落ちたらそのまま高校へ通えばいいかなって。結構安易な考えというか、勧められたからやってみようかなっていう感じで。

谷中:じゃあ、1年間高校に通ったんだね。もしジョッキーになるのを勧められてなかったら、他になりたかった職業ってあるの?

宗像:うーん、中学校の頃だったから、特に何をやりたいっていうのはまだなかったんですけど、ラジオとか分解したりするのが好きだったんで、漠然と何か機械系の仕事をしたいなとは思っていました。

谷中:インドア派だね。運動は得意だった?

宗像:運動神経はどちらかと言うと悪い方でした(笑)。足は遅いし、球技も特別上手いわけではなかったし。

谷中:そうなんだ。馬に乗るのはどうだったの?ジョッキーになるのを勧められてから、乗馬を始めたりした?

宗像:いえ、ほとんど馬に乗ったことが無い状態で試験を受けました。中学生のときに、どこかの牧場へ行って馬に跨って散歩するっていう、本当に観光地でやっているような程度の体験が一回こっきりで。よくよく考えたらナメてますよね(笑)。

谷中:それでも競馬学校の試験に受かるんだから凄いよね(笑)。またムナゾウが試験を受けた頃は競馬ブームで、倍率もかなり高かったはずだから。

宗像:15.8倍くらいだったみたいです。で、一次試験は20人前後が受かったんですけど、パンフレットを見たら、騎手過程は15人ちかく受かるって書いてあるから、2人に1人は受かるじゃんって思って。それで、とりあえず少しトレーニングをしておいた方がいいのかなと思って、トレーニングを始めたり、真剣に競馬を見るようになりました。

谷中:二次試験って親も面接を受けるんだよね?

宗像:そうです。競馬学校に親と一緒に行って面接をしましたけど、そのときはさすがに緊張しましたね。僕ひとりに対して面接官が10人くらいいて。うわ、ノドがカラカラってこんな感じなんだ、みたいな(笑)。

谷中:そりゃ緊張するよね(笑)。ちなみに親はジョッキーになることをどう思ってたの?

宗像:親は別に賛成とも反対とも言っていなくて。

谷中:そうなんだ。でも二次試験も受かったって分かったときは嬉しかったでしょ?

宗像:そうですね。僕、試験結果が発表されたときに、学校にいたんですよ。そうしたら福島の新聞記者が学校にきて、取材をさせてくれ、と。そこで初めて受かったってことが分かったんです。

谷中:学校としては大騒ぎだよね。新聞記者が来たぞ!って。大盛り上がりだったでしょ?

宗像:いや、記者が一人来ただけなんで(笑)。

谷中:あ、それほど過熱報道じゃなかったんだね。「どいてどいて!」みたいな感じで記者が押し合ったり(笑)。

宗像:囲まれもしませんでした(笑)。で、いきなり校長室に呼ばれて。その頃は校長先生に会ったこともないから、ええっ?って。

谷中:あれ、いきなり特別扱いされるんだよね。俺もそうだったもん。馬事公苑の騎手過程に受かったっていう連絡が学校にきてさ、教頭先生が授業中に「谷中くん、ちょっと来てください」って呼びに来たもん。「校長室へ」って言われて、もう別格扱い。

VIP!

谷中:もう、ほっといたら赤い絨毯を敷き出すんじゃないかってくらい(笑)。教頭先生も「こちらへ!」とか言って誘導してくれるし。何事かと思ったよ(笑)。いつも悪さをしていたから、そういうことで呼び出されてはいたけど、急に丁重な扱いになっちゃって。で、すぐ噂がバーッと広がるじゃん。「あいつ、ジョッキーになるんだってよ」みたいな。

元をただせば、とりあえず競馬学校の試験を受けてみようっていう程度の気持ちだったんですよね?

宗像:受かって、どうしようかな?とは思いましたけど、ウチの親はもうその気になっているから(笑)。じゃあ、いいか、みたいな(笑)。

谷中:軽いねー(笑)。

宗像:ウチは兄弟が多かったから、一人くらいは違う世界に行ってもいいかなと思って決めたんですけどね。その頃は、競馬学校に入学すればお金もかからなかったし。

谷中:それはやっぱり親も助かると思うよ。高校の授業料もなくなり、生活費もなくなり。小遣いをせびられることもなく(笑)。

しかも一攫千金の匂いが。

谷中:プンプンして。あわよくば、この家が広くなるみたいな(笑)。いや、いろいろ目論むと思うよ。実際にウチの親も「あの頃は目論んだ」って言ってたもん。

宗像:まだ競馬学校に入ってもいないのに「車も…、なあ?」とか言って(笑)。

谷中:グレードアップの予感がバリバリ(笑)。

ご両親も「ウチの徹が稼いでくるぞ」と。

宗像:口では言わないですけど…(笑)。

谷中:もう態度バリバリの雰囲気バリバリだからね(笑)。

じゃあ、そうやって周りも盛り上がっているしいいかな、と。競馬学校に入学した後に後悔したことはありませんでしたか?

宗像:大変だなとは思っていましたけど、とりあえず高校に1年通っていたから、同期より1つ上じゃないですか。そういうのがあったから、ちょっと大人ぶっていたというか、俺は辛くねえよっていう感じで見栄を張っていたというか。本当は辛かったのかもしれないけど、辛くねえよ、大丈夫だよ、みたいな感じだったんじゃないですかね。

谷中:年上だし。頭も切れるしね。他の同期はみんな馬鹿ばっかりだから(笑)。ムナゾウは笹倉厩舎だよね。先生がスカウトしにきたの?

宗像:いえ、そういう訳でもないんですけど。とりあえずウチの師匠は、関係者の子以外を採りたかったみたいなんです。それで関東を志望している生徒で、ほとんど競馬関係者じゃないのが、僕とカメ(亀山泰延元騎手)だったみたいで。

谷中:あ、カメか。すっかり忘れてたよ。

宗像:阿部厩舎の弟弟子じゃないですか(笑)。

谷中:カメかあ…(笑)。そりゃ笹倉先生もムナゾウを採りたがるわけだよ。

笹倉先生はどんな先生だったんですか?

谷中 公一

1965年長野県生まれ。1985年、美浦の阿部新生厩舎の所属騎手として騎手デビュー。JRA通算成績145勝(うち障害3勝)。初騎乗は1985年3月10日にヤノリュウホウ(8着)。同年6月15日イチノスキーで初勝利。現役中に騎手生活の厳しい現実を綴った著書「崖っぷちジョッキー」を発表。現在は天間昭一厩舎の助手として活躍中。同厩舎ではレッツゴーキリシマやクラウンロゼなどを担当した実績もある。またその傍らドッグガーデン「WANだら~」経営者としても手腕を発揮している。

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