谷中公一のソコまで聞いちゃう!?[2013年3月13日対談記事] 1ページ/3


今回のゲストは、美浦・粕谷昌央厩舎で助手をされている伊藤直人さんです。伊藤さんも元ジョッキーの助手さんということで、ジョッキー時代のお話、助手に転身されてからのお話を聞かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

伊藤:よろしくお願いします。

谷中:よろしく。改めて見るとさ、直人って背が高いよね。今、どのくらいあるの?

伊藤:167です。

谷中:体重は?

伊藤:大体49キロぐらいです。どうしても50キロを超えられないんですよね。

谷中:167で50を越えられない…。俺なんて、身長は160を越えられなくて体重は60から下がらないくらいの勢いなんだけど(笑)。

伊藤:結構飲み食いをしているんですけどね。

谷中:体質かなあ。だって今は汗取りをしていないんでしょ?

伊藤:全然してないです。

谷中:昔は汗取りばっかりやってたんだよ。直人は汗取りが好きだったから。

伊藤:デビューした頃は減量が1キロ取れるごとに、やった、楽になるぜって思っても、すぐに増えちゃうじゃないですか。47キロでキープしようと思っていても、苦しくなって普通に48.5ぐらいになって。それで47キロまで落とすのにサウナにチョコチョコ入って。

谷中:入り浸ってたもんね(笑)。

伊藤:その繰り返しで来ていて、これはマズイなと思ったんですけど、減量が取れてからはずっと変わらなかったんですよ。減量が取れて49キロくらいになったら、それをキープしていて。たまに斤量50キロのレースに乗るときに、ちょっと落とすだけで大丈夫でした。

谷中:だって、この手の平の薄さが違うじゃん。俺なんてさ、ほら。

ぷっくりしてますね。

谷中:直人は、手の骨がクッキリ見えるもんね。

伊藤:何か、おじいさんの手みたいですね(笑)。

谷中:人体のしくみがよく分かるよ(笑)。直人って背が高いけど、いつ頃から伸びたの?

伊藤:競馬学校に入ってから伸びました。中学時代は140くらいだったんですけど。

谷中:じゃあそんなに大きくないね。まあ、中学生の頃から大きいんじゃ、競馬学校の受験資格がないもんね。ちなみに、どうしてジョッキーになろうと思ったの?

伊藤:凄い単純な理由というか、実家が船橋競馬場なんですよ。僕が生まれた頃には、親父は船橋で厩務員をやっていたんですけど、その前は大井で騎手をやっていたみたいで。

谷中:えー!そうなんだ。

伊藤:そうだったみたいです。で、僕はずっと船橋の厩育ちだったんで、当たり前のように騎手になる、という感じでした。中学の頃にトレンディードラマとかを見て、逆にサラリーマンに憧れちゃったり(笑)。まあ、悪ガキでしたけどね。

谷中:あんまり悪ガキっぽい感じには見えないけどね。

伊藤:馬場が遊び場だったんで、夕方とかハローをかけて整備したあとに、そこでプロレスごっこをしちゃったりして。

谷中:意外だね。直人は、そういう遊びをしている子たちをたしなめそうな見た目だから。

伊藤:一緒になってやっていました。厩の中でかくれんぼとか。馬がいる馬房の上に隠れちゃったりして。

谷中:厩舎が遊び場だったんだ。そんな環境で育ってきたら、騎手になろうって当たり前のように思うかもね。お父さんから「騎手になれ」って言われたりはしてたの?

伊藤:いえ、親父は特に何も言わない人なんで。

谷中:でも船橋で育ってきたのに、どういうキッカケで中央競馬に進むことにしたの?

伊藤:正直言うと、僕は中央でも地方でもどっちでも良かったんです。

谷中:あ、そうなんだ。

伊藤:で、親父が結構飲むのが好きで、毎晩のように近所の焼き鳥屋さんに行っていたんですけど、そこの飲み仲間に千葉テレビに勤めている方がいて、その方が「騎手になりたいなら、中央の願書を持ってきてやるよ」って言ってくれて。中央の試験の方が先にあるんで、もし中央に落ちたら地方を受ければいいやと思って。

谷中:それで中央の試験に受かって。凄いね、親の反対もなく、試験も一発で受かって。極めてスンナリとジョッキーの道に進んだんだね。

伊藤:そうですね。競馬学校も、あの頃は女の子を受からせたり、いろいろやっていましたからね。僕と一緒に僕の友達も受かったんですよ。船橋競馬場出身者を2人受からせて話題を作ろうとしていたのかもしれませんね。

谷中:え、その友達って誰?

伊藤:いや、その友達は競馬学校の体験入学でイヤになって辞めちゃいましたけど。

そうなんですか。伊藤さんは競馬学校で大変だったことはないですか?

伊藤:やっぱり、厩で育ったから馬には慣れていたけど、乗馬をしてきたわけではなく、ただ跨っていただけだったんで、競馬学校で跨ったときには自由気ままに遊ばれちゃって「何だ、馬に乗るのってこんなに難しいのか」って思いましたね。JRA出身の飯田祐史なんかは、ご立派に乗っていましたけどね。ああ、やっぱり全然違うんだなと思いました。

競馬学校の騎手課程って、順位が出たりしますよね。

伊藤:出ますね。でも僕は最初から割りと良い順位だったんですよ。それで2学年上の藤田伸二さんから最初に「お前、1位らしいな。男だったら一度1位を取ったら落ちるんじゃねえぞ」みたいなことを言われて。

谷中:やっぱり男、熱いね。魂のメッセージだね。そのメッセージを守ることは出来たの?

伊藤:確かほとんど1位だったと思います。何回かは譲ったかもしれませんけど。

谷中:エリートだね。

伊藤:ただ、最後の最後でお菓子が見つかってしまって、何の賞ももらえなかったんですけど(笑)。本来だったら、アイルランド大使賞みたいなものをもらえたと思うんですけど。

そんなに1位を取っていたら、自分の技術に自信を持っちゃったんじゃないですか?

伊藤:いえ、全然ですよ。だって2学年上に藤田伸二さん、四位洋文さんがいましたからね。二人は、競馬学校の教官が乗馬で負けるくらいのセンスがあったんで。

谷中:特に四位が凄かったんでしょ?みんな言うもんね。「四位は上手かった」って。

伊藤:はい。それで、小林淳一先輩たちの代がひとつ上なんですけど、その世代を教えていた平沢教官が、結構ハードなトレーニングをしていたんですよね。僕らはそれに比べるとソフトというか、そこまでハードなトレーニングはしなかったんですよ。いざ、自分たちの教官が休んだときに平沢教官のメニューをやらされたら、メチャクチャキツくて。

谷中:あー、結構差があったんだ。

伊藤:だから学年ごとの差を感じて、僕らの学年のレベルはヤバいなと思ってたんですよ。

谷中 公一

1965年長野県生まれ。1985年、美浦の阿部新生厩舎の所属騎手として騎手デビュー。JRA通算成績145勝(うち障害3勝)。初騎乗は1985年3月10日にヤノリュウホウ(8着)。同年6月15日イチノスキーで初勝利。現役中に騎手生活の厳しい現実を綴った著書「崖っぷちジョッキー」を発表。現在は天間昭一厩舎の助手として活躍中。同厩舎ではレッツゴーキリシマやクラウンロゼなどを担当した実績もある。またその傍らドッグガーデン「WANだら~」経営者としても手腕を発揮している。

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