谷中公一のソコまで聞いちゃう!?[2011年10月13日対談記事] 1ページ/3

第8回の「谷中公一のそこまで聞いちゃう!?」。今回のゲストは保田一隆厩舎所属、デビュー2年目の菅原隆一騎手に直撃インタビュー。今年の8月に初勝利を挙げたときの気持ちや競馬の考え方など色々聞いちゃいました。

お二人とも今日はよろしくお願いします。菅原騎手は、この夏に北海道へ遠征して初勝利を挙げられたということで、そのお話もお聞きしたいと思っていますが、まずはジョッキーになろうと思ったキッカケから教えてもらえますか?

菅原:僕の父(菅原隆明元騎手)がジョッキーをやっていたので、その影響ですね。幼稚園の卒園アルバムの将来の夢に、周りの子は「ウルトラマン」とか「仮面ライダー」って書いているんですけど、僕は「騎手」って書いていました。

谷中さん、菅原騎手のお父さんと一緒のレースで乗ったこともありますよね?

谷中:もちろん!俺より5、6年先輩かな。昔、ローカルに出張したときなんか、よく食事に連れていってもらったりしてね。優しかったよー。「ぶんちゃん」って、みんなから呼ばれていて、とても親しみやすい先輩だったよ。

菅原騎手は、お父さんにどんなイメージを持っているんですか?

菅原:尊敬しています。この世界に入って、より尊敬するようになりましたけど、子供の頃は、お父さんがいつも家にいたので「普段、何をしているんだろう」って、疑問でしたね。僕らが学校に行く頃に朝の仕事が終わって家に帰ってきて、学校から帰ってくる頃に午後の仕事が終わって、家に帰ってきますから。

谷中:まあ、サラリーマンの家庭だったら、子供が学校から帰ってくる時間に家にはいないからね。お父さんがジョッキーとして騎乗している姿を見たことはあるの?

菅原:小さい頃、競馬場に行ったことはあるみたいですけど、覚えていないです。

谷中:最初に競馬を見た記憶って、いつ頃?

菅原:中学生の頃ですね。小さい頃から騎手になりたいと思っていましたけど、小学生の頃は俳優の方を中心にやっていたので。

谷中:凄いよねー。あの「釣りバカ日誌」に出ていたんだから。しかも主役の西田敏行さんの息子、鯉太郎役だよ?あと「らせん」にも出ていたんだよね?

菅原:はい。佐藤浩一さんの息子役で。すぐに死んじゃう役なんですけど(笑)。

谷中:いや、それでも凄いって。すぐに死んじゃう役でいいから、俺も映画に出してもらいたいよ。遺影役でもいいから(笑)。

写真だけでも(笑)。ちなみに菅原騎手は、どういうキッカケで子役の仕事をやるように。親の勧めですか?

菅原:いえ、知り合いに紹介されて、幼稚園の年長ぐらいからスーパーの広告に出ている子供服のモデルなどをやっていたんですけど、その仕事をしていたところで俳優業に誘われたのがキッカケです。

谷中:それで、どうやって役をもらえるの?

菅原:オーディションを受けるんです。

谷中:オーディションってさ、どんなことをするの?

菅原:場合によって違いますけど、主に自己紹介です。ドラマのオーディションだと、台本をその場で渡されて、1時間ぐらいで台詞を覚えてから、隣の人と二人でワンシーンを演じる、みたいな。

谷中:へー。いきなり台本を渡されて台詞を暗記して、さらに感情も出すわけでしょ?棒読みじゃダメだもんね「ナニヤッテンダヨー」って(笑)。

それじゃ速攻で落ちますね(笑)。オーディションに合格して役が決まると、出演者みんなで集まって練習をしたりするんですか?

菅原:いえ、僕は茨城から通っていて演技の練習をする時間がなかったので、演技指導練習なしでやっていました。台本をいただいて、家で両親に手伝ってもらいながら練習をして、あとはぶっつけ本番で。

谷中:それも大変だね。プレッシャーなんかはなかった?

菅原:小学生の頃なんで、習い事みたいな感覚で楽しくやっていました。

谷中:楽しく出来ていたならいいよね。俳優業が面白くて、ジョッキーになろうかどうしようか迷ったりはしなかった?最終的に「ジョッキーになろう」って決めたのはいつ頃なの?

菅原:中学に入る頃です。父に、中学生になっても俳優を続けるならそっちの道を目指して、騎手を目指すなら俳優の仕事は辞めろって言われたんです。

谷中:それで俳優の仕事は辞めて、ジョッキー一本になったんだ。ジョッキーになるために何かやっていたことはあるの?

菅原:小学5年から乗馬に入れるので、それまでに出来ることをやろうと思って、小学3年生まではトランポリンをやっていました。その後は器械体操をはじめて、マット運動や鉄棒などをやっていました。

谷中: 凄い、しっかり準備していたんだね。じゃあ、競馬学校に入った後はどうだった?菅原君の場合は、お父さんがジョッキーで競馬学校の厳しさも聞いていると思うから、キツくても頑張れた面もあるんじゃないかな?

菅原:そうですね。最初は体重管理が厳しくて苦労もしましたけど、父から厳しいものだとは聞いていましたから。でも、学校生活はイヤですね。もう戻りたくないです(笑)。あまりにイヤ過ぎて、あの頃の記憶が消えかけています。

そんなに嫌だったんですか?

菅原:はい。厳しかったのもそうですけど、卒業の前に髄膜炎で死にかけた経験がイヤでイヤで…。卒業年の年明けは、入院して病院のベッドにいましたからね。だから競馬学校の模擬レースは1回出られなかったんですけど、試験までに気合いで治しました。

ジョッキーになる前に大変な経験をされたようですけど、デビューしてから、デビュー前に想像していたものと違うことってありましたか?

菅原:いきなり何十勝もできるわけじゃないとは思っていましたけど、やっぱりひとつ勝つことの重みですよね。模擬レースと比べて、重みが全然違いました。

谷中:模擬レースと実際のレースって、流れも全然違うでしょ?

菅原:はい、全然違いますね。

デビュー戦に関してはいかがですか?これまでお話を聞いたジョッキーの中では、頭が真っ白になったというタイプと、しっかりと覚えているタイプがいましたけれども。

菅原:割りと覚えています。とりあえず前に乗り掛けないことと、馬を真っ直ぐ走らせることを意識して乗っていました。でも、考えていたことのほとんどが出来ませんでしたけど(笑)。

谷中:それはしょうがないよね(笑)。俺なんて、ラチ沿いをぴったり走っているつもりが馬場の真ん中を走っていたっていうぐらいの内容で、デビュー戦が終わってから「俺、やっていけるのかな?」って、ジョッキーを続ける自信が無くなったんだけど、菅原君はデビュー戦を乗り終えた後、どんな気持ちになった?

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谷中 公一

1965年長野県生まれ。1985年、美浦の阿部新生厩舎の所属騎手として騎手デビュー。JRA通算成績145勝(うち障害3勝)。初騎乗は1985年3月10日にヤノリュウホウ(8着)。同年6月15日イチノスキーで初勝利。現役中に騎手生活の厳しい現実を綴った著書「崖っぷちジョッキー」を発表。現在は天間昭一厩舎の助手として活躍中。同厩舎ではレッツゴーキリシマやクラウンロゼなどを担当した実績もある。またその傍らドッグガーデン「WANだら~」経営者としても手腕を発揮している。

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